以下、友人から。
今年3月の原告証言の傍聴に行きました。
通訳を二人介しての証言。
性暴力によって奪われた、原告の方の青春、幸せを思うと、怒りがこみ上げてきました。
普通の裁判と違って、国側は一切証言も抗弁もしません。
「国家無問責」ってヤツです。
証人申請が通るか否かの重要な裁判です。
一人でも多くの方に傍聴していただけますよう、お願いします。
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傍聴席から支えよう!日本軍による性暴力被害者。
――中国・海南島からの訴え――
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日本軍の性暴力被害者たちが、60年後に起こした裁判。
裁判官は被害者の証言を聞かないまま、判決を下そうとしています。
被害者の話を聞いて、良い判決を書いてもらうために、
ぜひ、傍聴席で、裁判を支える「世論」になってください!
◆◆日時・場所:◆◆
9月28日(水)午前11時〜
東京地裁627号法廷
(地下鉄丸の内線・千代田線霞ヶ関A1出口すぐ)
裁判後、弁護士会館の502号室で、報告集会があります。
裁判の解説と、支援団体の学生の海南島スタディツアーの報告を行う予定です。
現地で被害者の方にお会いした感想などを交えて行います。
※詳しい被害の事実、裁判経過などはHPをご覧ください。
[URL]
◆◇◆◇◆◇海南島裁判て、何?◇◆◇◆◇◆◇
=====66年前、海南島で何が起きたのか=====
海南島は、中国の南端に位置する、台湾と同じくらいの大きさの島です。
日本軍は1937年の盧溝橋事件以来、中国各地での戦闘を本格的に開始しました。
そのなかで、39年に海南島に上陸、太平洋地域など南方侵攻の拠点としました。
このとき、日本軍は東アジア各地で、軍による性奴隷制、いわゆる「慰安婦」制度を
実施し、多くの女性に組織的な性暴力を振るいました。
それは、この海南島でも例外ではありませんでした。
=====証言、そして裁判へ=====
90年代に入り、元「慰安婦」制度の被害者の方々が、東アジア各地で実名を公表し、
被害の証言を語りはじめました。
そして、日本政府に謝罪と賠償を求めて、各地から被害者が裁判をはじめました。
海南島でも、日本軍占領から60年以上が経過した2001年、8名の被害者が、
自らの尊厳の回復を求めて、日本政府を提訴しました。
=====尋問の成功、裁判長の交代…=====
そして2005年。
3月には、海南島から81歳になる被害者の方が証人として来日され、4時間に及ぶ法廷での証言を行われました。
しかし、翌月の4月、証言を聞いた裁判官は交代してしまいました。
新しい裁判官は、紙に書かれた証言に目を通すだけです。
こんなことで、被害者の方のためになる判決は期待できません。
しかも、その次の裁判では、裁判官は居眠りをしていました。
=====ふたたび、証人尋問もとめて=====
この状況をなんとかするため、私たちは新たな被害者の方や、海南島の歴史を調査されている方を証人として採用するよう裁判所に求めていました。
ところが、裁判官の反応は良くなく、新たな証人の採用すら難しそうです。
さらに悪いことに、裁判官はそろそろこの裁判を終わらせようとしています。
第一審で悪い判決を下された場合、控訴してもそれを覆すのはなかなか困難です。
被害者の方の話を直接聞かないままの判決が、良いものになるでしょうか。
なんとか、地裁で良い判決を引き出さなければいけません。
=====傍聴席からの、まなざしを!!=====
被害者の証人尋問を実現させ、裁判官に良い判決を書かせるためには、
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